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論文要約10「デジタル教材設計におけるリアルとバーチャルの融合のあり方~「魔法の世紀」を頼りに~」

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デジタル教材設計におけるリアルとバーチャルの融合のあり方~「魔法の世紀」を頼りに~(安部)


落合陽一の「魔法の世紀」を受け、デジタル教育について、特にリアルとバーチャルの融合のあり方について考察した。


1背景と目的
(a)テクノロジーの発展と学校教育
近年のテクノロジーの発展は我々の生活わ大きく変え、さらには学校教育にまで影響を及ぼしている。本稿ではそれらの中で特に授業や教材のあり方について考えていく。

(b)デジタル教材と教育工学
教育工学による過去の研究から、デジタル教材に対しては、教育者側な学習観の変遷と関連させて捉えていくのがまっとうな道だと言えるだろう。
行動主義→認知主義→社会構成主義と変遷してきた。

(c)テクノロジーの先端思想から教育を考える
上記に関し本稿ではテクノロジー側の視点から、それらの技術の進歩を見据えながら教育について考えるという試みも行う。
思考の拠り所として取り上げるのは落合陽一の「魔法の世紀」だ。落合はテクノロジーとアートの歴史や哲学を重ねながら21世紀のパラダイム変換を論じている。


2「魔法の世紀」論とは
(a)「映像の世紀」と「魔法の世紀」
この2つはセットで語られる。映像の世紀から魔法の世紀へと変換するというのはどういうことか。
20世紀は、映像を共有することの価値に気づき、映像が人間の社会や文化などを支えていた時代だった。
21世紀はテクノロジーがさらに進化し、映像でしかなかった魔法のようなことが実現可能になるという。ここまで発展したテクノロジーブラックボックス的な魅力とともに人々に感動を与え、その点においても魔法という表現は適当だと言える。

(b)「魔法」の定式化
・現実性
魔法は現実の物理空間に現れるものである。
・非メディアコンシャス
体験は出来てもその原理がつかめないことにより魔法となる。
・虚構の喪失
現時点では起こり得なかったことが次々と起こり、リアルとバーチャルの境目が不鮮明になっていく。


3「魔法の世紀」と教育実践
(a)保育実践と魔法
保育園生たちへの指導と魔法は相性がいい。こいのぼり作成に際して非現実なことをモチベーションにしていることからもそう言えるだろう。

(b)小学校以降の授業実践と魔法
子供たちのごっこ遊びにはそのリアリティーの追及にファンタジーの要素が重なりあうことな意義がある。
この多重構造と魔法の世紀のリアルとバーチャルの境界が無くなることは共通する部分もあり、工夫すれば魔法を充電に取り込めるのではないだろうか。しかしそうした場合、現象自体は極めて発展的であるという問題も残る。ここからはファンタジーがリアルに拡張する授業におけるデジタル教材のあり方について考える。




4どのような教材設定があり得るか
(a)先行研究における教材論との差異
これまでは魔法的体験による魅了を観点の中心にしていないものやリアリティーに重きを置きすぎなものが教材論としてあり、いかにリアルにファンタジーを忍ばせるかについて述べられたものは無い。

(b)想定される教材についての思考実験
まず「映像」の教材観を想定する。教室内でドラマを見るとする。そこではドラマ内と教室は区別されており、ドラマはドラマだけで完結するし教室はリアルだ。
次に「魔法」の教材観。ここではドラマも教室内もほぼリアルだ。ドラマが終わってもその続きが教室内で展開され、教室内での言動もドラマと連動している。
では具体的にどのようなものが魔法の教材となるのか。


5 2つの教材の魔法的解釈
(a)ジェスチャーに関する教材
ある小学校でのジェスチャーの授業を例に上げる。そこではBOSSと呼ばれる英語しか話せない者が子供達に指令をだして交流する。子供達も最初は戸惑ったが、徐々にBOSSとのコミュニケーションを楽しむようになった。この教材は事前に作られたものを臨機応変に視聴させるものであったが、子供達はBOSSがリアルだろうがバーチャルだろうが楽しかったとし、それ以上なにかを気にすることはなかった。
バーチャルな教材でも工夫次第では非現実的、魔法的な体験が可能だとあうことがわかる。

(b)家庭内事故に関する教材
家庭内の安全についての授業が小学校高学年のクラスで行われた。その資料の映像では危険を察知する能力を持つアイという女性が、事故を事前に察知する度に視聴者に問いかけており、それに受け答えしていくという授業が行われた。
この授業への子供達の反応から、教材自体はバーチャルとリアルが切り離されていても、子供達にとってはその境目がなく、教材と学習を包括したストーリーを楽しめていたことが分かった。
また、感想用紙には学習できたと記されることが多かったが、これは魔法への没入感な弱さを示す課題でもある。


6総合的考察
(a)魔法の世紀へ向けたデジタル教材設計
魔法の3つの条件「現実性」「非メディアコンシャス」「虚構の喪失」と、途中で浮かび上がったストーリーといあ観点を考慮すると教材設計には次のような点が重要になる。それは、教材のストーリーと教室とを切り離さず、それらを包括したストーリーの中で学習を展開するという発想である。
一般化すると、魔法的な教材の作成において、その教材自体を作り込むだけではなく、その視聴者との間をストーリーで架け橋することが重要だということになる。

(b)魔法にまつわる課題
学習効果に加え、魔法に対する魅了や没入感の体験も評価に加えるべきだが、それらは教育においてはノイズとされるものでもある。そこの折り合いの判断は今後注意すべきだろう。
また、本稿での授業は魔法の教材もどきであることもここで断っておく。

補論1 魔法としてのゲーミフィケーション
ゲーミフィケーションの特徴として映像が挙げられるが、その形が魔法の世紀への突入で変わってくることを受けて、その捉え方を考え直す必要がありそうだ。

補論2 授業の「脱魔術化」と「再魔術化」
かつて科学的に世界を捉える試みにより魔法のような現象が科学的に解明され、それにより指導技術も向上した。しかし、この「脱魔術化」により授業の細かい事実が見落とされるという指摘も出てきた。これをはらすために再び魔術化されるのではないかと思われる。


「ブログ主より」
要は勉強が楽しくなるよということだろう。しかしそのための技術は超発展的であるというジレンマは難しい問題視だが、個人的には魔法をイントロにするので十分ではないかと感じる。そして最後の魔術化と脱魔術化についてだか、これを再魔術化とサイクル的に表現するのは不適切に思われる。技術を解明し、また進歩した技術が現れ、また解明し、というのはまさにテクノロジーの発展に対する庶民の正しくかつ普遍的な反応ではないだろうか。
この論文は非常に興味深かったので、参考文献等を読んで理解を深めていきたい。

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