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論文要約6「うつほ物語"蔵開き"と音楽物語」

うつほ物語"蔵開き"と音楽物語(伊藤禎子)

平安時代中期に完成した日本最古の長編物語、全20巻からなるうつほ物語の13~15巻にあたる蔵開きについての論文

はじめに
蔵開き以降、仲忠は音楽の道からそれ一族の後継者として学門にも携わるようになり、今後後世にも引き継がれていくだろうと予想される。しかし本当に仲忠は学問の道に進んだと言えるのか、学問という曖昧な表現に今一度言及し、蔵開き以降の重層的な様相について述べていきたい。


1「進講(貴人の前で講義をすること)」について
中村忠行氏は菅原道真の詩集献上を仲忠の進講のモデルとしている。帝に3つの詩集を献上した点においてうつほ物語と似ており、内容には離ればなれになる肉親への情がしたためられたであろうとして 俊蔭との類似点を述べた。
大井田氏は道真の献上は「自覚と矜持(プライド)」に根差したものであり、仲忠の献上は「無言の愁訴」の意味があるとしてその相違点を述べた。
2つの例の共通点は、家や一族の歴史である書物を献上したことだ。
道真は書物の献上によりそれらが中国の書物白天楽を凌ぐとの評価を得た、うつほ物語に当てはめても、作中の文章から対中国の意識があることが確認出来る。
しかし物語の蔵開き上527~528では学問と一族の歴史とを別物として扱っている。俊蔭らの詩集は学問的書物とは異なるものとして物語に登場しており、ここから彼らの書物=音楽であることが明かされていく。

2藤英と仲忠
うつほ物語には藤英という人物が登場する。学問に勤しむ藤英と仲忠の比較から仲忠の人物像を確認していく。
大井田氏は物語後半の仲忠象を「儒臣」と捉えている。しかしこのような次世代は仲忠に限ったものではなく、むしろ藤英が「学士であれば帝に仕え詞や音楽を献上するべきだ」と述べるのに比べ仲忠には儒臣らしい様子がない。
仲忠が学問に勤しむ姿は蔵開きにより多くの書物を得た後に描かれている(仲忠は人々を拒み続けた蔵をあっさり開け、それにより学問の道に進む覚悟を決めた)。それは儒臣らしいとも言えるが、「学問を教えよう」「書物を書こう」という意思は作中に記されているものの、実際に行動に移した点までは描かれていない。
仲忠には声に対する賛辞が多く寄せられているが自ら書物を書くことは無かった。一方で藤英は大学で学んだ漢文の知識を活かして書物を作成し、また、学問を通しての出世を望んでいる。
仲忠の進講の中には仮名文字の歌があった。これからも仲忠の「声」に重点が置かれていることが分かり、これが「音」を意味するのではないだろうか。
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3音楽と講書
前述の通り仲忠の学問は、音楽との共通点でもある声、その音に価値があるようだ。
蔵開きの行為は音楽を支えるものとしての学問だった。音楽の才能のみでの出世は軽蔑されていた。三田村氏はそれに加え、琴の音の意味を書物(学問)による後付けでより敷居の高いものにするとした。また、神田龍身氏はエクリチュール(書くこと)としての音楽という新たな見解を示し、蔵開きの行為がただ音楽を支える学問として終始するのではなく、「音楽としての構造までもが学問に依拠していた」とまでに発展した。
しかし、これらの議論は音楽と学問を2項対立的に評価している点において共通している。だがことはそう単純ではないらしい。


4音楽と学問の境界を越えて
俊蔭一族にとって音楽をただの芸術として処理してはいけない。
うつほ物語は早い段階から主題を学問から音楽に移し、学問の家系の繋がりを音楽でも実現させようとした2重構造になっている。さかし、途中で学問を再度主題に浮上させたとき、物語は学問の世界すらも音楽であるかのように思わせたのだ。
当初物語で俊蔭は藤英と同じような学問をしていた。うつほ物語が、学問→音楽→学問と話を進めてきた結果、音楽は学問を模倣してつくられ、学問は音の世界を作り出したのだ。
蔵開きの行為は学問と音楽の対立のためでなく、最初から、どちらも書かれ、音で表現されるものだとしてその境界をなくそうという試みだったのである。
エクリチュール(書くこと)理論と音声化の葛藤を描くという挑戦が、うつほ物語を覆っているのだ。

「ブログ主から」
正直難解過ぎて何度も読むの止めようとしました。だけど終盤は感動のオンパレードだった。音楽に限らず学問と芸術は、現在も2項対立的な捉えられ方が一般的だと感じます。このうつほ物語では、登場人物の個人的とも捉えうる行為や周りの動きによって学問と音楽が融合していく様子が描かれており、そこまで読みきった上で、蔵開きの場面から全てが始まっていたという解説には鳥肌が止まりませんでした。平安時代のこの文章の圧倒的普遍性と物語自体の巧みさや深さ、それを論文としてまとめた伊藤先生には感服致します。

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