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論文要約13「「書評」現実とは何か:数学・哲学から始まる世界像の転換」

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「書評」現実とは何か:数学・哲学から始まる世界像の転換(西郷矢・田口)

1行為としての読書と現実
読書とは理解を構築し、現実の認識を変えていく行為である。"本書は「ものの考え方」と「われわれの生き方」の両方に関わる根本原理を探究している"という序章から始まるこの本は実に読書の醍醐味を味わわせてくれる。
書評らしく本の要約をすると、第1章で現実と数学の相同性を示唆し、第2章では数学とは非基準選択により問題を選ぶこととその選択を手放し置き換え可能性を見いだすことでその問いに対して普遍的な構造を見つける行為だと述べる。第3章ではこの構造を見いだす行為を定式化し、第4章では現実観の倫理的側面を述べる。第5章では自由を非基準選択と捉え、読者に実践を迫る。


2非基準的選択の自然変換のモデル
広義では認知科学は人間がどのように生きているかに関連することを扱っている。ここで、データから人間の情報処理を推定する過程を考えてみる。
例えばAさんが机Xの周りを回るとその見え方は変化するが、変化の周期性を見いだすことで机Xの同一性を信じる。つまり、実体としてある机Xではなく、一貫した関連性により同一性が構築されるのだ。
ここでAさんの世界は机Xを見ることにより、他の世界を無くすという意味で決定される。
さて、ここで別のBさんが同じように机Xを見ると、見え方はAさんのと比べ一貫性を持って変化するだろう。このように対象が誰にとってのものなのかが変わることを自然変換と呼ぶ。
非基準的選択とは、選択した後で"そうしなくてもよかった"とされるような選択である。10個のりんごから1個選ぶといった行為だ。置き換え可能性とは、この"そうしなくてもよかった"という事態を表し、ここではABの自然変換に対応する。
本書の特徴はこの置き換え可能性を個の価値とする点にある。かけがえのないものが置き換え可能だからこそ自然変換にも価値がある。これは面白い認識だ。


3非基準的選択としての自由
本書は、我々が非基準的選択を常に行い、それを反省し、また選択し、を繰り返すことを自由と呼んでいる。そして更なる変換可能性を説く。
また、量子意思決定論についてにもこれらの論と接続可能性かありそうだ。

4行為をせまる書としての喪失
本書を読むことも選択の1つであり、置き換え可能性を作用させるために消えていく。本書は認知科学者のみにたいしての本では無いが、自身のモデルや実験を見直すいい機会になるのではないだろうか。

「ブログ主より」
選択するということは他を捨てること、そして我々は何気ない日常で無数にこの行為を行い、その積み重ねが今である。実に余計なことまで考えてしまいそうな内容だ。そしてこの選択性は原子レベルにまで持ち込めるらしい。今後はそれらについて調べ、ブログでその成果を公開していきたい。

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