フリーザといっしょ

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論文要約15「宮崎駿にみる身体感覚-体感体験と創造性」~後編~

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4考察
(a)特殊な身体感覚・体験感覚
「黒い粉」のエピソードや「黒いどろどろしたものが身体から噴出する」といった発言からは宮崎が特殊な身体感覚を持ち、体験していることが考えられる。それらを繰り返し語ったことから、それだけ強烈な体験だったことが伺える。こういった表現は比喩とも捉えられるが、名状し難い体験を言語化する試みだったとも捉えられる。また、これらは皆に共通すると思っていたということは、宮崎はこういった体験を一般的なものだと感じているということだろう。
宮崎駿の「鈴木敏夫の身体から黒い粉が出ていた」というエピソードは単なる幻覚とも捉えられるが、その背景には、身体から黒いものが出るという宮崎の実体験を他者に投影したことによる発言だと理解することも出来る。

(b)身体感覚に伴う情動反応
前述の通り宮崎は「黒いどろどろしたもの」に伴う感情として、怒り、憎しみ等を挙げている。
タタリ神、カオナシ意外で怒りにより凶暴化するギャラクシティとして「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカがいる。ナウシカが、父が殺された怒りでその場にいた兵士を殴り殺していくシーンや、「わたしのなかに恐ろしい憎しみが潜んでいて、自分でも抑えられなくなるんです」というセリフは正にその例だ。
もののけ姫では情動反応として髪が逆立つシーンがある。ナウシカでも怒りで髪が逆立つシーンがあり、「怒髪天を衝く」という慣用表現を映像化している。風は目では捉えられないがものがはためくことにより視覚化可能であり、"風を感じる"ことは一般的に共有可能な感覚だ。浦谷はこういった風の表現が宮崎の真骨頂なのではないかと考察した。
こうしてみていくと、作中の黒い訳の分からないものや風の表現は宮崎の名状し難い感覚や体験を具体化することで創作された映像なのではないかと想像できる。

(c)影と闇を体現するキャラクター
~皇弟ミラルバ~
「体から黒いものが出ている」表示として「風の谷のナウシカ」にでてくる「土鬼の皇弟ミラルバ」がある。ミラルバは自分の精神と肉体を切り離す特殊能力を持っており、殺された後も黒い塊のままさ迷い続け、意識を失ったナウシカに取りつく。意識を取り戻したナウシカに追い出され、無力な老人の姿となり闇に吸い込まれそうになった所をナウシカに救われ、光の世界へと導かれた。
この描写や「影」の概念に最も影響を与えたとされる小説として「ゲド戦記」が挙げられる。

(d)特殊な身体感覚と小説「ゲド戦記」が創作に及ぼした影響
宮崎作品に大きな影響を及ぼしたゲド戦記は全6巻だが、宮崎が読み込んだのは前3巻。第1巻「影との戦い」は禁じられた魔法で自らの影を呼び出してしまいそれと対峙する物語。第2巻「壊れた腕環」は、世界に平和と均衡をもたらす腕環を探し、主に暗闇の地下迷宮で物語が進む。第3巻「さいはての島へ」では大賢者となったゲドが世界の均衡を取り戻すために旅をし、黄泉の国の扉を閉じて期間するまでの話である。
ナウシカ」から「ハウル」に至るまで全ての作品に影響を与えたゲド戦記を通読すると、影響を与えたとされるキャラクターや設定を見つけることが出来る。
なかでも「影」と「闇」の設定は特に影響を与えたのではないだろうか。1~3巻の描写はナウシカを彷彿させるものがある。
なぜこれほどまでにゲド戦記に心酔し、影響を受けたのか。それは自身の「黒い訳の分からないもの」が身体から出てくるという情動反応を伴う体験を理解し、制御するヒントをゲド戦記から得たからではないだろうか。
ゲド戦記の主人公ゲドは他人への怒りから自分の影を生み出してしまったが、それと向き合い、最後には一体化した。自らの影や闇を否定するのではなく、それを受け入れ得るものとして生きる「ナウシカ」「アシタカ」の原型はゲド戦記にあっとものと想像される。


5体感異常症との異同
宮崎駿の「黒いどろどろさたものが身体から出てくる」という感覚は精神医学的には体感異常症、もしくは皮膚寄生虫妄想と類似している。
ここで、宮崎の特殊な身体感覚と体感異常症との類似点や相違点について述べる。
類似点は体験の確信性の高さだ。どちらも本当に体験したと信じている。
相違点としては、宮崎のものは一過性であるのに対し体感異常症は慢性的である点、また、宮崎のものは身体内部から外部に何かが出るのに対し体感異常症は身体内部や皮膚の異常感覚である点が挙げられる。

6体感体験と創造性
宮崎駿の特殊な感覚と創造性との関連について考察する。
精神異常としての体感異常の最大の問題は患者にとっての身体異常感であり、そのために執拗に治療と原因を求めることになる。一方で宮崎の感覚では自身は損傷せず、興味の対象は感情を伴って出てきた何かに向けられる。このような感情の具現化は映像制作に影響を与えていると言えるだろう。
感情を形にするのはゲド戦記でも描かれたが、これに宮崎が心酔した理由はそれが自身の体験と類似していたからだと考察される。


7おわりに
宮崎の特殊な感覚を様々な視点で考察した。内的体験を具体化する行為は宮崎の創造性における大事な要素ではないだろうか。


「ブログ主より」
ジブリは老若男女誰でも楽しめるという入り口の広さと、考察し出したら止まらないという深さを兼ね備えた作品だが、本稿によりそれが感情の具体化によるものではないかと予想できる。誰にでも感情はあるが誰も感情を理解し切れない。そういったテーマが宮崎作品の全てに当てはまるからこそ圧倒的人気と普遍性を持つのだろう。


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