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論文要約10「デジタル教材設計におけるリアルとバーチャルの融合のあり方~「魔法の世紀」を頼りに~」

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デジタル教材設計におけるリアルとバーチャルの融合のあり方~「魔法の世紀」を頼りに~(安部)


落合陽一の「魔法の世紀」を受け、デジタル教育について、特にリアルとバーチャルの融合のあり方について考察した。


1背景と目的
(a)テクノロジーの発展と学校教育
近年のテクノロジーの発展は我々の生活わ大きく変え、さらには学校教育にまで影響を及ぼしている。本稿ではそれらの中で特に授業や教材のあり方について考えていく。

(b)デジタル教材と教育工学
教育工学による過去の研究から、デジタル教材に対しては、教育者側な学習観の変遷と関連させて捉えていくのがまっとうな道だと言えるだろう。
行動主義→認知主義→社会構成主義と変遷してきた。

(c)テクノロジーの先端思想から教育を考える
上記に関し本稿ではテクノロジー側の視点から、それらの技術の進歩を見据えながら教育について考えるという試みも行う。
思考の拠り所として取り上げるのは落合陽一の「魔法の世紀」だ。落合はテクノロジーとアートの歴史や哲学を重ねながら21世紀のパラダイム変換を論じている。


2「魔法の世紀」論とは
(a)「映像の世紀」と「魔法の世紀」
この2つはセットで語られる。映像の世紀から魔法の世紀へと変換するというのはどういうことか。
20世紀は、映像を共有することの価値に気づき、映像が人間の社会や文化などを支えていた時代だった。
21世紀はテクノロジーがさらに進化し、映像でしかなかった魔法のようなことが実現可能になるという。ここまで発展したテクノロジーブラックボックス的な魅力とともに人々に感動を与え、その点においても魔法という表現は適当だと言える。

(b)「魔法」の定式化
・現実性
魔法は現実の物理空間に現れるものである。
・非メディアコンシャス
体験は出来てもその原理がつかめないことにより魔法となる。
・虚構の喪失
現時点では起こり得なかったことが次々と起こり、リアルとバーチャルの境目が不鮮明になっていく。


3「魔法の世紀」と教育実践
(a)保育実践と魔法
保育園生たちへの指導と魔法は相性がいい。こいのぼり作成に際して非現実なことをモチベーションにしていることからもそう言えるだろう。

(b)小学校以降の授業実践と魔法
子供たちのごっこ遊びにはそのリアリティーの追及にファンタジーの要素が重なりあうことな意義がある。
この多重構造と魔法の世紀のリアルとバーチャルの境界が無くなることは共通する部分もあり、工夫すれば魔法を充電に取り込めるのではないだろうか。しかしそうした場合、現象自体は極めて発展的であるという問題も残る。ここからはファンタジーがリアルに拡張する授業におけるデジタル教材のあり方について考える。




4どのような教材設定があり得るか
(a)先行研究における教材論との差異
これまでは魔法的体験による魅了を観点の中心にしていないものやリアリティーに重きを置きすぎなものが教材論としてあり、いかにリアルにファンタジーを忍ばせるかについて述べられたものは無い。

(b)想定される教材についての思考実験
まず「映像」の教材観を想定する。教室内でドラマを見るとする。そこではドラマ内と教室は区別されており、ドラマはドラマだけで完結するし教室はリアルだ。
次に「魔法」の教材観。ここではドラマも教室内もほぼリアルだ。ドラマが終わってもその続きが教室内で展開され、教室内での言動もドラマと連動している。
では具体的にどのようなものが魔法の教材となるのか。


5 2つの教材の魔法的解釈
(a)ジェスチャーに関する教材
ある小学校でのジェスチャーの授業を例に上げる。そこではBOSSと呼ばれる英語しか話せない者が子供達に指令をだして交流する。子供達も最初は戸惑ったが、徐々にBOSSとのコミュニケーションを楽しむようになった。この教材は事前に作られたものを臨機応変に視聴させるものであったが、子供達はBOSSがリアルだろうがバーチャルだろうが楽しかったとし、それ以上なにかを気にすることはなかった。
バーチャルな教材でも工夫次第では非現実的、魔法的な体験が可能だとあうことがわかる。

(b)家庭内事故に関する教材
家庭内の安全についての授業が小学校高学年のクラスで行われた。その資料の映像では危険を察知する能力を持つアイという女性が、事故を事前に察知する度に視聴者に問いかけており、それに受け答えしていくという授業が行われた。
この授業への子供達の反応から、教材自体はバーチャルとリアルが切り離されていても、子供達にとってはその境目がなく、教材と学習を包括したストーリーを楽しめていたことが分かった。
また、感想用紙には学習できたと記されることが多かったが、これは魔法への没入感な弱さを示す課題でもある。


6総合的考察
(a)魔法の世紀へ向けたデジタル教材設計
魔法の3つの条件「現実性」「非メディアコンシャス」「虚構の喪失」と、途中で浮かび上がったストーリーといあ観点を考慮すると教材設計には次のような点が重要になる。それは、教材のストーリーと教室とを切り離さず、それらを包括したストーリーの中で学習を展開するという発想である。
一般化すると、魔法的な教材の作成において、その教材自体を作り込むだけではなく、その視聴者との間をストーリーで架け橋することが重要だということになる。

(b)魔法にまつわる課題
学習効果に加え、魔法に対する魅了や没入感の体験も評価に加えるべきだが、それらは教育においてはノイズとされるものでもある。そこの折り合いの判断は今後注意すべきだろう。
また、本稿での授業は魔法の教材もどきであることもここで断っておく。

補論1 魔法としてのゲーミフィケーション
ゲーミフィケーションの特徴として映像が挙げられるが、その形が魔法の世紀への突入で変わってくることを受けて、その捉え方を考え直す必要がありそうだ。

補論2 授業の「脱魔術化」と「再魔術化」
かつて科学的に世界を捉える試みにより魔法のような現象が科学的に解明され、それにより指導技術も向上した。しかし、この「脱魔術化」により授業の細かい事実が見落とされるという指摘も出てきた。これをはらすために再び魔術化されるのではないかと思われる。


「ブログ主より」
要は勉強が楽しくなるよということだろう。しかしそのための技術は超発展的であるというジレンマは難しい問題視だが、個人的には魔法をイントロにするので十分ではないかと感じる。そして最後の魔術化と脱魔術化についてだか、これを再魔術化とサイクル的に表現するのは不適切に思われる。技術を解明し、また進歩した技術が現れ、また解明し、というのはまさにテクノロジーの発展に対する庶民の正しくかつ普遍的な反応ではないだろうか。
この論文は非常に興味深かったので、参考文献等を読んで理解を深めていきたい。

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論文要約9「手取川上流域における地形特性と土砂移動」

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手取川上流域における地形特性と土砂移動(島津)

1はじめに
手取川は石川県の白山市にあり、白山山脈を源とした河川。1934年に歴史的な洪水が発生したことは有名。この地域の土砂生産と移動を調査することはその他の土砂崩れたはつ地域の防災力の向上にも繋がる。また、1934洪水の被害にはダムの決壊も関与している。本稿では土砂移動の特性を明らかにする研究の一環として、手取川上流で算出された地形特性値と1934水害での堆積物を比較し、天然ダムの決壊が関与したとされる1934水害の土砂移動の仮定を推定することを目的とする。


2手取川上流域の地形・地質
上流域の標高は高く、流れは急で地滑りや崩壊をよくおこしている。また、白山は活火山。
地質は赤岩層と明谷層からなる。


3地形計測からみた手取川上流の地形特性と土砂移動
地形特性として流域は標高の高い平地に分布しているため起伏が小さい。この地形が日本の平均的な山地に近づくと仮定すると、今後平坦な地形は地滑りや崩壊によって起伏が増大していくことが予想される。
地形特性については調査結果から次のような推定がなされた。
最上流部の白山周辺は平坦な地形が広がるものの今後崩壊や地滑りが進んでいく。源流付近で発生した土石流は勾配が緩くなる一ノ瀬付近の区間に堆積。支流からの土石流の本流への流入は、大きな河川では起こらないが小さな河川では起こる。


4 1934水害の土砂移動
上記の推定と比較する。1934水害における土砂の移動は次のように推定される。
細谷川、湯の川では崩壊が起こり岩塊を含む大量の土砂が河川に流入した。状況から、土石流の状態で土砂が運搬されたと考えられる。それらは一ノ瀬付近で堆積し、河床を上昇させた。一方で宮谷川流域からも本流に土砂が流域し、大きさの昇順に標高の高い位置に堆積された。風嵐付近の堆積物は少なかったと推定される。


5巨大岩石の運搬様式と河床勾配
宮谷川からの巨大岩石の運搬様式と地形計測結果との関係について判断する。
調査から1934水害では、堆積物の再移動や崩壊に起因する土石流の流入とは異なった様式での土砂の堆積、運搬があったと予想される。
状況から、巨大岩石が緩い勾配の領域まで流れてきたのはダムの決壊によるものと推定された。したがって手取川上流での土砂の運搬にはダムの決壊が重要な要因としてあげられるだろう。


6今後の課題
まだ解明されていない巨大ダムの規模や位置について調べていきたい。

「ブログ主より」
ダムの決壊というコナンでありがちな悪の匂い大好き

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論文要約8「2018年 7 月豪雨により山口県東部で発生した洪水・土砂災害の特徴」

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2018年 7 月豪雨により山口県東部で発生した洪水・土砂災害の特徴

1はじめに
2018年7/5~7/8にかけての激しい雨により山口県東部の島田川流域で発生した洪水、土砂災害の概要と浸水地域の土地利用の変遷について報告する。


2豪雨の概要
豪雨の空間的特徴を調べるため、中国地方の4日間の日降水量および精算降水量を調べた。
7/5では山口県から広島県にかけて100mmを越える強雨を観測。7/6は雨域の中心が南下し、広島湾を挟んで175mmのを越える豪雨域が出現、島田川流域では200mmを超えた。7/7は豪雨が収束し、7/6と似た雨量の分布で程度が小さくなった。7/8は50mm以下となっている。
4日間の積算降水量では400mmを超える地帯が山口県から広島県にかけて横長に配置、島田川の支流では540mmを超えた。


3豪雨の空間的、時間的特徴
島田川支流の中山川では5日昼に雨が強まり6日未明に収束、6日の夕方と7日未明に二度のピークを迎え7日夕方には収束している。4日間の積算降水量は500mm近く、これにより島田川上流では危険水位に到達し警報が発令された。中流も同様。下流では避難勧告が出された。


4人的、住家被害と土砂災害の実態
市町村別被害及び死者について、死亡者は県内で3名、警戒区域内でのこと。また、酒工場の使用停止や学校への土砂の流入など様々な被害が観測された。住家被害は岩国市で全壊13、半壊278、島田川とその支流による被害が顕著だった。


5島田川流域における洪水災害の実態
流域で2日総雨量311mmという浸水想定の規定を100mm程度上回る雨量が全域で観測された。
浸水被害では、万全の備えだったと思われる家屋でさえ玄関まで浸水するという事例もあり、今回の豪雨の激しさが示された。地盤高190cmの浸水もあり。


6島田川下流の光市三井地区の土地利用の変遷
1947年9月に洪水による甚大な被害が記録されている。台風によるもので、広島県では多くの死者、行方不明者を出した。空中写真から決壊した島田川の様子が確認できる。住家は島田川の自然堤防上と県道8号の山際に点在し、洪水対策のために標高の低い平地には存在しない。その後15年間は土地利用の変化はみられない。
1975年には自然堤防上に多くの家屋が建設され、北部の丘陵地帯には団地が形成された。1992年には団地の開発が進み、2008年には低地でも水田を一部残しつつ老人ホームなどが建設されている。2017年ではさらに温泉なども。

7おわりに
島田川周辺で洪水が頻繁であることは記録として残されている。避難行動について検証していき、防災力の向上に努めたい。

「ブログ主から」
何でこれ選んだのかは自分でも分からん。全然おもんない。


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論文要約7「量子コンピューターの現状と可能性」

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量子コンピューターの現状と可能性(藤井)

はじめに
1980年代のファインマンの指摘をきっかけに定式化された量子コンピューターが、近年の技術の発展や大手IT会社の研究への参入により話題となっている。
本稿ではより多くの人の量子コンピューターの認知、理解のために、その歴史、仕組み、未来について説明していく。


1量子コンピューターの歴史
量子コンピューターの原理の基礎となる量子力学1920年頃に構築された。一方で情報科学では、1930~40辺りで計算機の定式化や情報の定量化を経て現在のコンピューターの基礎となる型がつくられた。しかし、人類史上最高の天才と唄われたジョンフォンノイマンでさえ量子コンピューターまでは至らなかった。
その後量子力学情報科学は交わることなく独自の進化を遂げた。
再び交わるきっかけとなったの1980年代の計算機の発熱だ。なぜ計算しているだけなのにエネルギーを消費するのかという疑問に従来の情報科学では答えられなかった。その情報を担っている物理系が現れ、「information is physical」というスローガンのもとで物理と情報の融合が始まった。
1990年代には、従来のコンピューターでは困難な量の計算を全く違う原理で動く量子コンピューターが簡単に解いてしまうことをきっかけにして多くの研究者が興味を示すようになった。
2000年代にはブームは停滞。理論側では難解な問題だけが残り、実験側ではビット数がなかなか増えず、大規模な量子コンピューター実現の難しさが浮き彫りとなった。
再び注目を集めたのは2010年代、カナダが量子コンピューターを商品化した。同時期のJマルチネス超伝導量子ビットによる制御システムのエンジニアリングなGoogleの参入をきっかけにして第二次量子コンピューターブームが巻き起こり現在に至る。


2量子の世界の不思議
量子力学はミクロな世界を記す物理学であり我々を影で支えている。量子コンピューターと従来のコンピューターとの違いをしるには量子力学の知識が多少必要なのでここで解説する。

(a)古典ビットと量子ビット
従来のコンピューターでは0と1の二つで情報を表現しており、どちらかの物理状態でなければならない。
しかし、計算の原理を量子力学に拡張すると、0か1かまだ確定していない"重ね合わせ状態"が許されているため、より一般的な量子ビットによって情報を表現出来る。
電子1つが左右どちらかの箱に入るという究極の状態を仮定する。このときに、イメージしにくいが、どちらの箱に入ったとも言えない状態を"量子ビット"と言う。
量子ビットを従来のコンピューターで記すとどうなるか。
まずどの程度0でどの程度1なのかということを表す複素数a.bを用いて状態ベクトルとして
u=(a,b)とする
0・1と状態のときはそれぞれ
0=(1,0) 1=(0,1) と記される。
また、a.bは複素確率振幅と呼ばれ、曖昧な状態を強制的に0か1にしたときの確率が絶対値の2乗によって決まる。
よって、 a"2+b"2=1 である。
0と1が重なりあった状態は
(1/√2,1/√2) と記される。

(b)量子アルゴリズム
量子ビットが1つだけなら、2つの状態のみだが、Nこあったら2のN乗通りの状態が存在することになる。
量子アルゴリズムは巨大複素ベクトルの確保とそれに対するユニタリ行列(共役複素行列をかけると単位業界になる)により問題を巧みに解けるように設定されている。大きくわけると(i)量子に関係するもの(ii)特定の条件が満たされると量子コンピューターによって高速化されるもの、である。

3量子コンピューターの現状とNISQ
現在の小規模な量子コンピューターでは複雑な構成のアルゴリズムは実行できない。一方で現行の量子コンピューターであっても、従来のコンピューターではシミュレーション出来ない。このような量子コンピューターの優位性実験的に検証する試みは量子超越と呼ばれている。
2019年10月にGoogleが量子超越に到達した。53量子ビットを集積化し高い精度での演算を可能にしたのである。十分高い信頼性が検証された一方で、従来のコンピューターなら1万年かかるとされる計算を数分で完了させてしまった。
このような中・小規模の量子コンピューターはNISQ(Noisy Intermediate Scale Quantum computer)と呼ばれ、有効利用しようとされている。


4まとめ
量子技術は新たなフロンティアである。量子の経験を積み、うまく活用されることが期待される。


「ブログ主より」
量子ビットはただ一通りなのか、程度によって数種類に分けられるのかが疑問として残った。物理学と情報の融合、さらに情報の定量化についてはかなり興味深いのでリサーチを重ねていきたい。


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論文要約6「うつほ物語"蔵開き"と音楽物語」

うつほ物語"蔵開き"と音楽物語(伊藤禎子)

平安時代中期に完成した日本最古の長編物語、全20巻からなるうつほ物語の13~15巻にあたる蔵開きについての論文

はじめに
蔵開き以降、仲忠は音楽の道からそれ一族の後継者として学門にも携わるようになり、今後後世にも引き継がれていくだろうと予想される。しかし本当に仲忠は学問の道に進んだと言えるのか、学問という曖昧な表現に今一度言及し、蔵開き以降の重層的な様相について述べていきたい。


1「進講(貴人の前で講義をすること)」について
中村忠行氏は菅原道真の詩集献上を仲忠の進講のモデルとしている。帝に3つの詩集を献上した点においてうつほ物語と似ており、内容には離ればなれになる肉親への情がしたためられたであろうとして 俊蔭との類似点を述べた。
大井田氏は道真の献上は「自覚と矜持(プライド)」に根差したものであり、仲忠の献上は「無言の愁訴」の意味があるとしてその相違点を述べた。
2つの例の共通点は、家や一族の歴史である書物を献上したことだ。
道真は書物の献上によりそれらが中国の書物白天楽を凌ぐとの評価を得た、うつほ物語に当てはめても、作中の文章から対中国の意識があることが確認出来る。
しかし物語の蔵開き上527~528では学問と一族の歴史とを別物として扱っている。俊蔭らの詩集は学問的書物とは異なるものとして物語に登場しており、ここから彼らの書物=音楽であることが明かされていく。

2藤英と仲忠
うつほ物語には藤英という人物が登場する。学問に勤しむ藤英と仲忠の比較から仲忠の人物像を確認していく。
大井田氏は物語後半の仲忠象を「儒臣」と捉えている。しかしこのような次世代は仲忠に限ったものではなく、むしろ藤英が「学士であれば帝に仕え詞や音楽を献上するべきだ」と述べるのに比べ仲忠には儒臣らしい様子がない。
仲忠が学問に勤しむ姿は蔵開きにより多くの書物を得た後に描かれている(仲忠は人々を拒み続けた蔵をあっさり開け、それにより学問の道に進む覚悟を決めた)。それは儒臣らしいとも言えるが、「学問を教えよう」「書物を書こう」という意思は作中に記されているものの、実際に行動に移した点までは描かれていない。
仲忠には声に対する賛辞が多く寄せられているが自ら書物を書くことは無かった。一方で藤英は大学で学んだ漢文の知識を活かして書物を作成し、また、学問を通しての出世を望んでいる。
仲忠の進講の中には仮名文字の歌があった。これからも仲忠の「声」に重点が置かれていることが分かり、これが「音」を意味するのではないだろうか。
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3音楽と講書
前述の通り仲忠の学問は、音楽との共通点でもある声、その音に価値があるようだ。
蔵開きの行為は音楽を支えるものとしての学問だった。音楽の才能のみでの出世は軽蔑されていた。三田村氏はそれに加え、琴の音の意味を書物(学問)による後付けでより敷居の高いものにするとした。また、神田龍身氏はエクリチュール(書くこと)としての音楽という新たな見解を示し、蔵開きの行為がただ音楽を支える学問として終始するのではなく、「音楽としての構造までもが学問に依拠していた」とまでに発展した。
しかし、これらの議論は音楽と学問を2項対立的に評価している点において共通している。だがことはそう単純ではないらしい。


4音楽と学問の境界を越えて
俊蔭一族にとって音楽をただの芸術として処理してはいけない。
うつほ物語は早い段階から主題を学問から音楽に移し、学問の家系の繋がりを音楽でも実現させようとした2重構造になっている。さかし、途中で学問を再度主題に浮上させたとき、物語は学問の世界すらも音楽であるかのように思わせたのだ。
当初物語で俊蔭は藤英と同じような学問をしていた。うつほ物語が、学問→音楽→学問と話を進めてきた結果、音楽は学問を模倣してつくられ、学問は音の世界を作り出したのだ。
蔵開きの行為は学問と音楽の対立のためでなく、最初から、どちらも書かれ、音で表現されるものだとしてその境界をなくそうという試みだったのである。
エクリチュール(書くこと)理論と音声化の葛藤を描くという挑戦が、うつほ物語を覆っているのだ。

「ブログ主から」
正直難解過ぎて何度も読むの止めようとしました。だけど終盤は感動のオンパレードだった。音楽に限らず学問と芸術は、現在も2項対立的な捉えられ方が一般的だと感じます。このうつほ物語では、登場人物の個人的とも捉えうる行為や周りの動きによって学問と音楽が融合していく様子が描かれており、そこまで読みきった上で、蔵開きの場面から全てが始まっていたという解説には鳥肌が止まりませんでした。平安時代のこの文章の圧倒的普遍性と物語自体の巧みさや深さ、それを論文としてまとめた伊藤先生には感服致します。

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論文要約5「冬季日本海の現地調査に基づく浅海域への入射長周期波の調査」

冬季日本海の現地調査に基づく浅海域への入射長周期波の調査(中畑、落合、柏原、花山、守屋、関本)

1はじめに
近年、浅海域への工学的な問題に長周期波(数十秒から数分サイクルの海面の変動)が深く関わっていることが指摘されている。解決にはこれらの理解及び再現が必要。
過去の研究では長周期波の多方向性や不規則性を捉えることが出来ていなかった。
本研究では長周期波の特徴をエネルギー的に捉えた後数値計算し、観測結果とともにその妥当性を評価する。


2現地観測の概要
新潟県直江津港内に観測器を5種類の水深(12~25m)ごとに1つ設置。水位、水圧、2方向の流速を計測する。


3現地観測に基づく長周期波の特徴
沖から岸に向かってエネルギーが増加していることがわかった。
また、波の形態として、自由長周期波と長周期拘束波の2種類あり、前者の発生には後者の発生が関与しているが、前者の発生要因は多様過ぎて推定できない。一方で長周期拘束波のスペクトル(複雑なものを成分に分解してそれらを大小で捉える)は算出出来る。そこで今回は(自由長周期波エネルギー)=(長周期波全体エネルギー)-(長周期拘束波エネルギー)とする。
沖合の長周期拘束波エネルギーは全体に対し非常に小さいこと、通常波浪成分(水面の上下運動)の周期が長くなるにつれて、長周期波のピークエネルギーが大きくなることが確認できた。また、観測の結果、地点の長周期波は長周期拘束波に関連づけられると考えられる。


4現地調査に基づく長周期波を用いた数値計算
ここでは上の観測結果から数値計算を、長周期拘束波エネルギーが長周期波エネルギーと同等として行う。
(a)数値計算の概要
計算格子は現地の上空映像の簡略図を元にし、間隔はxy方向が10m、時間は0.2sとした。100成分にわけスペクトル解析を行う。

(b)結果
計算した値に対し長周期波エネルギーの対応は非常に良いことが分かった。つまり、長周期拘束波によるエネルギーの計算の精度は非常に高い。


5おわりに
今回の手法を用いて様々な地点で観測を行い問題解決わ検討したい。


「ブログ主の一言」
特定不可能な要因に対して既知の事実から背理法的に向き合って定量化し、今後の研究の基礎となるような手段がうまれたことは感動的だ。


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論文要約4「電気が見えるデバイス」

電気が見えるデバイス(落合陽一)

1はじめに
電子回路を試作する際に用いられる穴の空いた板をブレッドボードといい、電子工作における紙とペンのような働きをしている。
しかしブレッドボードには、電気を作るための機械でありながら電気が見えないという問題点がある。
そこで今回、配線を半導体リレーにして操作性を高め、電圧を可視化し回路に重ねて表現する新たなブレッドボードを作った。


2目的と背景
(a)従来の研究との比較
電気回路の様子を知るための発明として、電圧計や波形を可視化するオシロスコープなどがあるが、本稿はそれらを1点の情報としてではなく一括して浮かび上がらせ電子回路自体に電圧の変化が読み取れる機能をつける試みである。また、配線の操作性を高め、表面を触ることで接続を変えることを可能にすることで、回路の様子をビジュアルで捉え、その喜びや感動を得ることも目的としている。

(b)内部状態を表現するデバイス
本稿では、電気を使うシステムの可視化と状態の理解という定義により「電気が見える」と与える。
そして、電気が見えるブレッドボードを"Visible Breadboard"と名付ける。


3システム構成
(a)システム概要
スペック詳細が述べられた
(省略)

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(b)システムについて
主に4つの処理によって作動している
・静電容量変化検出部
指がふれたときの静電容量変化を読み取る。ホール周囲の4つのパッドは4方向を表しユビノ動きをxy平面的に捉える。

・リレー制御部
ホール間のONOFFにより接続を動的に切り替え回路を作成する。

・電圧測定部
アナログをデジタルに変換する集積回路と部品の差し込まれたホールの接続を直接的に切り替えることで電圧を測定する。

・LED表示部
LEDの色を電圧に応じた設定にして可視化する。


4デバイスの操作

指で触れたホールと隣り合うホールが電気的に接続され配線を作り出す。
指で触れた場所により異なる音階の音が鳴る。これは楽器のように扱えることで操作性を高める工夫である。


5ワークショップ
参加者からは「電気が見えた」という声や、可視化された部分を用いた説明による理解の共有が観測された。
一方でセンサーの精度による不便さ、また、ホール同士の繋がりを示す部分が見えないことによる理解の困難さを指摘する人もいた。

6まとめ
電気が見えることの喜びを感じる姿やその実効性を確認できた。
今後は今回の反省も踏まえ、使用者のイメージとデバイスの物理状態の一致を目指す。


「ブログ主の一言」
目的の一つに喜びや感動が入っているのが落合さんらしい。ホールを細かくし、また、パッドの4方向の動きの感知精度を高めればより直感的な理解及び操作性への感動は深まるのではないだろうか。



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